2008年5月3日土曜日
おねがい☆ティーチャー オフィシャルファンブック リエータ
昨日書いた”D.C.II.S.S.”の日記で、やたら「おね☆ティ」だの「森野苺」だのと、一人で騒いでいたので・・・今日はその続きのようなものを。
かもんにとって「おね☆ティ」とは・・・一言で言うなら「空白の時間について考えさせられる作品」かな?(^^;。
この作品においては「停滞」という病気を用いて表現されていますが、人生において「空白の時間」を持つ事の意味、そして結果・・・とでも言いましょうかね。
かく言う、かもんさんもプロフィール欄に書いてあるように「スクールエスケーパー(ま、世間一般で言う不登校だな)」だった事もあるし、精神的に逝っちまってた事もあったし。
(ん?今でも、精神的に逝っちまってるって?、”まだ”マシになった方だと思うが?(笑))
何れにせよ、かもん自身にも「空白の時間」ってのがある。
もちろん、今ではそれが無駄な時間だったとは思っていないし、むしろ必要な時間だったとさえ感じられるようになった。
ただ、空白の時間を過ごしている時が一番つらかった。
時間を止めてしまいたくもなった。
でも、止まらない。
止められなかった。
喪失感ばかりが溢れてくる。
そのあと、今日まで続く時間は”おまけ”みたいなもん。
でもって、「おね☆ティ」の主人公であり、空白の時間を持つ「草薙桂」、同じく「森野苺」にものすごく「感情移入しやすい」とでも言うか・・・ちょいと古い言葉で言うと「お前は俺か?」的なさ。
とにかく、そういう下地はあったわけ。
逆に言うと、みずほ先生(右上の画像)は、当時全く感情移入できなかったっけ。
なんかこう、桂の”都合の良い”救世主にしか見えなくてさ。
「こんな都合の良いお助けキャラ・・・現実ではありえない。少なくてもかもんには居ない。」とね。
ゆえに、作品後半から桂にもな~んか感情移入できなくなってきて。
・・・むしろ「親友達に助けられていた」という苺の言葉が、かもんの心にグサッっときてね。
(最近、友達と疎遠だなぁ、大事にしないと良くないね、全く。)
もちろん「アニメ作品」ですから、森野苺の見た目や言動に惹かれたのも否定はしない。
けど、それ以上の魅力が彼女にはある。
否、「あった」としておこうか。
続編の「おね☆ツイ」という作品に登場する苺は、毒舌が先行するキャラになってしまい・・・「おね☆ティ」時代にあった「深さ」を感じられなくなってしまったのが、非常に残念。
ぶっちゃけ、かもんは「おね☆ツイ」にはあまり興味ない。
(一応、きちんと全話視聴はした上での結論)
もうDassenどころか、ムチャクチャだな、文章・文脈(^^;
「おね☆ティ」について語ると、べらぼーに長くなるので、今日はこの辺まで。
(娘。系テキサイの元管理者として失格かもしれないけど、娘。の話より長くなるのは確実(爆))
あ~、なぜに「ファンブック」をタイトルに挙げたかと言いますと・・・やはり、この手の本を読み返さないと「昔の記憶」って戻ってこないんだよね。
いうなれば「記憶の扉を開く鍵」とでも言いましょうか。
参考文献というと、また方向性が違うんだけど。
(実際、何度も視聴している作品なのですから。)
結局、「ファンブックの出来の良し悪し」って・・・数年後、十年後にその本を開いた時に「当時の記憶をどれだけ取り戻せるか」だと思うんです。
そういう意味で、このファンブックは合格点。(かなりのハイスコアで)
ま、こんなこと言ってるから「懐古主義」だのなんだの言われるのですが・・・別にかまわんよ。
なぜなら、今は”おまけの時間”だからさ。
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